根付・提物蒐集入門

はじめに

根付コレクターにとって優品の蒐集は簡単な事ではありません。特に古根付と呼ばれる江戸時代後期から明治にかけての有名作家の真作は現存数が減ることはあっても増える事は無いので数回骨董市に足を向けても直ぐに入手出来る訳ではありません。しかし、美術品レベルの根付は兎に角、根付は元々武家から町人まで誰もが使っていた物ですから日用品としての根付は未だ未だ日本にもありますし、慣れ(実用による擦れ、摩耗のこと)や難のある根付をコレクションする人も居ます。もしも根付が見つからなくても根付の進化バージョンは多く見つかります。

根付の進化バージョンとは?

明治の廃刀令によって、武士階級が無くなり和装であっても袴が冠婚葬祭などの正装となって、着流しやそれに羽織を着る事が主流になりました。それまで武士も高い地位の町人も左の脇から正面にかけて脇差を挿していました。袴は滅多に使われなくなり、脇差も挿さなくなったので、袴の右の空いたスペースに提物を吊す必要が無くなり、それまで重い脇差を差していた左前のスペースが空き寂しくなったので、提物を提げる位置は右の袴の間から左前の脇差の位置に移りました。その時の形態変化が根付→煙管筒です。煙管筒は根付の正当進化バージョンなのです。

立体彫刻

根付の丸彫(形彫)彫刻は立体的だが、饅頭根付や煙管筒は平面の彫刻だと思われている方は多いのでは無いでしょうか?丸彫(形彫)根付の手間物(高級品)に良く透彫が見られます。細部を透かして彫る事は精度の高い仕事を強いられ緊張感が高まると思います。では、この煙管筒をご覧下さい。

全面透彫です。平面的ですか?根付よりも手間がかかっていませんか?

和装の変化によって市場の需要の変化があり、明治期になると根付作家は煙管筒の制作をしました。帝室技芸員:石川光明等も煙管筒の作品を多く残しています。むしろ谷中派と言われる分業制の量産根付職人集団は輸出用の根付を明治期にも継続して作っていました。生産量は江戸期の国内需要向けよりも多かった様です。

柴田是真、池田泰真

箱根付など根付も作っていた漆芸家の柴田是真、池田泰真も莨入(煙草入)に関する作品を残しています。トンコツ(莨入(煙草入)のハードケースタイプ)や煙管筒も作っています。掛軸、扇面、漆絵などの絵画。食器や調度品などの蒔絵作品。印籠。それらと同じ様に根付や煙管筒も作られました。

池田泰真葛図螺鈿蒔絵煙管筒


池田泰真落葉箱根付


池田泰真蒔絵煙管筒更紗銀唐革莨(煙草)入


池田泰真作の二例の煙管筒と箱根付です。箱根付に比べ表面面積が大きい煙管筒の方が漆芸の手間や、制作時間を要したと思います。加納夏雄、香川勝廣、海野勝珉など金工作家は前金物、鏡蓋根付、煙管、裏座、緒締の作品が多く、それらと組み合わされて蒔絵作家の煙管筒が用いられた為、同じ蒔絵作家でも箱根付より煙管筒の方が作品は多く、入手が容易です。

根付は一メンバー:莨入(煙草入)はチームで成り立つ

これは実用品の無銘の一つ提です。根付、鹿革巾着、緒締、組紐で成り立っています。

根付の名品の場合、根付が元々の提物から切り離されて単体の場合が多く、本来の組合せが分からなくなっている場合が殆どです。根付だけを集めるというのは、クラシックカーコレクターに例えればハンドルだけを集めるとか、シフトノブだけを集めるというコレクションスタイルになります。勿論それを楽しむ事もアリだと思いますが、本来誂えの文化であった日本において、袋物商はその組合せ取り合わせを行うコーディネーターだった訳ですから、根付と提物の組合せも洒落を効かせて楽しんでいました。根付だけを小彫刻としてキャビネットに飾るのは外国人コレクターに多く見られます。和装も可能な日本人であれば根付と煙草入や巾着もしくは印籠が組み合わされた本来の姿で後世に残したいものです。

伊勢正直トンコツ

伊勢正直の組合せです。前金物の部分には丸彫(形彫)根付をスライスした様なトンコツとは別の種類の木材(黄楊)の彫り物が付いています。長年伊勢正直の研究をして来られた会員の見立てではトンコツは初代正直、煙管筒は射和(いざわ)正直だそうです。同じ正直銘でも確かに銘の字体は全く違います。

木材によって出来ていますが、この様にカマスと同じ様に蓋が開きます。囊の縫い目も彫刻で表現されています。意匠はセットになって初めて「竹藪の虎」となります。後に正直銘同士で組み合わされたのかも知れませんが、莨入(煙草入)は煙管筒や根付と組み合わされたまま見つかる事も多いので、当時の組合せの洒落なども楽しむ事が出来ます。

莨入(煙草入)は嬉しい発見が盛沢山

印章文字が染められた布製の煙管入と紙入。多分女性用で胸元にしまわれたのだと思います。大きさも小ぶりです。平和島の骨董市で靴の空き箱らしき紙箱にこの様な紙入と札入が沢山入っていました。その日は他に収穫(蒐穫?)が無かったので、靴箱に雑多に入った紙入を一個一個見てみました。真ん中辺から出て来たこのセット。なんとなく東京の香りがするじゃないですか。自分はそう感じました。それも下町の。自分の嗅覚を信じて蓋を開いてみると・・・。

小さな小さなコハゼがありました。ひっくり返してニンマリ。そうです。根付だったら何百万もする場合があるあの作家の作品でした。

明治期から谷齋の作品は人気でした。歌舞伎役者が金の延べ板を若いのに持たせて催促をすると谷齋はその金の延べ板に領収を刀で刻んで突き返したという話が残っています。自分が思うにこの煙管入と紙入のセットは幇間の時にお座敷で一緒になる仲間の芸者へのプレゼントじゃ無いかな?もしくはデザインが渋いから何時も上がっている料亭の女将へのプレゼントかも知れないなぁ。と想像を膨らませるのも楽しみの一つです。

コーディネート

羊歯煙管筒豊川光長鮎前金物




緑の下地に黒漆で羊歯(シダ)の葉を一つ一つ丁寧に描いた煙管筒。蝶々がモチーフの金唐革。豊川光長の鮎前金物。光秋銘の裏座は清流と笹の図。

初夏の季節で統一されています。勿論、お洒落な持ち主は初夏に使った事でしょう。

解題の楽しみ

加納鉄哉作紫檀観音図煙管筒


煙管筒には七宝焼きの様に見せた、わざと欠けがある漆塗りの観音像。いや、七宝を焼いて貼り付けたのか?裏にはお経でしょうか?子犬の緒締は10k位の金位。前金物は14k位の鶴。付属していた煙管は純金に近い高金位の虎図煙管。

これらが納められていた箱に鉄哉の文字があるので、これは元々この組合せだったのですが、何かの物語でしょうか?筆者は未だこの解題が出来ておりません。

純金に近い金位の高い煙管共箱に入っていたので元々の組合せと思われます。




日本根付研究会には解題に詳しい会員もいます。解題には和歌、中国古事、日本の言い伝え、風景、戦記など豊富な知識が必要です。特定の作家について詳しい会員もいます。一人では中々解明出来ない事も例会に持って行き詳しい会員に聞くことで解る事もあります。何か解りましたら追記します。

有名オークションは高い!

根付蒐集を始めて間もなく、海外オークションのカタログを取り寄せ入札を試みてみましたが、有名オークションでは各国の富豪がライバルとなります。不名誉なセカンドビッターが続き心折れました。当時はクリスティーズとサザビーズの二大オークションも日本美術を扱っていました。毎回高額レコードが更新されていた頃です。自分は身の丈に合わせて、二大オークション以外に照準を合わせました。クリスティーズのサウス・ケンジントンやドイツやオーストリアのオークションです。二十代前半にロンドンの蚤の市やアンティークショップには行っていました。当時の興味はアンティークウォッチや西洋アンティークでした。なのでガラクタ市の様なクリスティーズのサウス・ケンジントンは知っていました。

ロンドンの二大オークションと違い、小規模オークションはカタログなどの印刷物も解像度が低いと言いましょうか?ドットが荒いです。(少なくとも当時は)二大オークションの図録の様なカタログとは違い、あるオークションの冊子の様なモノクロ印刷に三個セットの根付を発見しました。良く見えないのでルーペで拡大してみましたが、ドットが大きくなるだけです。薄眼にして見たり、光を当てて拡大して見たりしても、そもそも印刷が荒いので細部が分かりません。でも、夢に現れる位に気になるのでダメでもいいやという位の価格で入札したらなんと落札出来ました。エスティメート(落札予想価格)に煙草銭を上乗せした位の金額での入札です。他に入札が無かったようです。落札金額にオークション手数料、税金、送料を支払い、一ヶ月ほどで小包が届きました。正月の福袋を開ける気持ちでした。三個セットだから一つ当たればいいやという気持ちでした。その内の一つがこれでした。

直ぐに当時の日本根付研究会会長に見て貰いに山梨に持って行きました。会長所有の東谷の作品を並べられ、その中にこの根付が置かれました。「私の所有する東谷の作品と並べてみました。違和感が無いですよね。これは間違い無く本歌の東谷です。東谷は象嵌の作品が多いですが、木彫り、つまり彫りだけでこのレベルの作品が出来たのですね。私が見て来た木彫りの東谷の中では最も良く出来た作品だと思います。」と仰って頂きました。セットだった陵民も良い物でしたし、もう一つは玉珪の石持だったと記憶しています。陵民は今も持って居ますが、玉珪は交換要員にして何かと替えてしまい手許にはありません。モノクロ印刷の解像度の荒い写真をルーペで見て入札を決断しましたが、結果は大当たり。入札額は落札した根付のどれか一つを骨董商で見つけた時よりも低い金額でした。蒐集の奥義は情熱です。資金では海外の富豪に勝てません。